それに向かうとき、説明も把握も出来ないそれにただむきあう時。そのとき自らの心の水面は、鏡のようにしんとする。そしてその水面が、ひとしずくの水滴をまっているかのような静かで厳かな輝きを持つのを感じることができるだろう。
「物を物たらしむるものは物にはあらざるなり。」
「言を以て論ずべきものは物の粗なるものなり。意(こころ)を以て致む(きわむ)べきものは物の精なるものなり。言の論ずる能わざるところのものは、精粗を期(かぎり)とせず。」(荘子のことば)