何の感動も抱くことは許されなかった。ただ私はそこに在った。
目をみひらいているだけの。それだけだった。
それ(私)はものではなく、それ(私)は場所だった。
自分はそこにはいってしまった。場所に自分がいた。
筒の中に空気が通り抜けてまたはいって来る。
充満しているのではなく、それが其処なのだ。
自分はそれに押しつぶされ循環されてただの管になっていた。
その場所を遠く離れてそれらが量のない映像の皮膜になった時、
はじめてそれをものとしてとらえることが出来た。
はじめてそれを抱くことができた。
それは空気なのだ。
自分にそれがいっぱいになって、自分がそれの容器になっていた。
私はただの、目を見開いているだけの量のないただの穴になっていたのだ。