マニラの道端で、マリア像が設置されているのをよく見かけます。幹線道路沿いにも、閑静な住宅街の四つ角にも。日本で言うところのお地蔵さんや道祖神のように、野ざらしで道端にたたずんでいます。祭られている洞窟のような祠も、南国らしい鮮やかな彩が施され、自由な発想、創意工夫に富んだ面白いデザイン。どのマリア像も、ひとつとして同じものは無く、とても味わい深い表情をしています。教会の中ではない、道端にあるマリア像を、見かける度に記録することにしました。
ある日、とあるマリア像にカメラを向けていると、小学生くらいの女の子が、通りすがりに像の鼻の頭を撫でていきました。気をつけて見ていると、その子だけでなく、多くの人が通りすがりにマリア像のどこかしらに触れていました。マニラで人気の教会のキリスト像は、お参りする時に像の足に触れてお祈りするそうなのですが、道端のマリア像の場合は通りすがりに、ちょっとした挨拶でもするように撫でるものらしい。だから、どのマリア像も顔やら手やら足先やらの塗装が剥げていたのです。マリア像のお顔の傷みは、野ざらしで放置されているからではなく、人々が熱心にお参りした、愛着のしるしだったようです。
お顔の傷みが印象的なあるマリア像は、年末のお祭りの後に訪ねてみると、祠から何からお顔の眉毛に至るまで、すべて塗り替えられていました。傷みは放置されているわけではなく、お手入れされるものらしい。マリア像がどれも印象的なのは、この愛着のしるしとお手入れの積み重ねによる、今をも含む終わりのなり造形だからなのかもしれません。